※このページでは、筆者が実際に使用した「写経」の紹介に、アフィリエイト画像とリンクを利用しています。
はじめに

私は5年前に母を亡くしました。
仕事をしながら
子育てしながら
母の介護をしていました。
誰よりも大好きな母のこと
子どもの頃から、母のことが大好きで、毎晩神様に
「お母さんと、お父さんと、お姉ちゃんが長生きしますように」
と祈っていました。
小さい頃から、お買い物に行くにも、母と一緒
「母が喜ぶから」と掃除も夕食の準備のお手伝いもしていました。
夜は、自分の布団ではなく、母の布団に潜り込み、一緒に寝ていました。
そんな母がある日、私のことがわからなくなる瞬間があったのです。
「どちら様?」
いきなりでした。私は「またまたー」と言って笑いましたが、母は真顔で・・
その時はじめて
「母は、認知症なのかもしれない」
と感じたのです。
現実は厳しい
あれほど綺麗好きだった母の周りは、片付けられないもので溢れるようになりました。
到着したばかりのスーパーの前で
「じゃ、帰ろうか」
と言い出したり、日に日に言動がおかしくなってきました。
私は、父と一緒に母を連れて脳神経外科に行きました。
様々な検査の後、くだされた診断結果は
「正常です」でした。
どこが正常ですか?と言いたかったですが
『言ったところで仕方ない・・』と諦めました。
介護の日々が始まる
私には仕事があるので、日中は父が介護して、夜は私が母の面倒をみていました。
この頃から、母はよくこけるようになり、手をつくことができないため
頭を強打し、夜間外来に何度も連れていく日々でした。
私のことが、わかる日もあれば、わからない日もあって・・
精神的にも、とても辛い日々でした。
そこで、私は母に写経をしてもらい、週末にはお遍路さんにいくことにしました。
なぜなら、日中のお世話をしている父の疲労が半端なかったので
休日は1人のんびり過ごして欲しいと思ったのです。
写経は楽しみながら
母に写経はとてもハマったようで、なん枚もなん枚も描き続けてくれました。

四国八十八ヶ所では、写経を投函する箱があるので、書いた写経を1枚づつ納めていきました。
そうやって外に出て、険しい階段を自力で登っている最中の母は
とてもいきいきして、いつもの母に戻っていました。
「このまま、治るかもしれない」
と淡い希望を胸に、私は母とお遍路さん詣を続けたのでした。
その日は突然に
四国八十八ヶ所のうち55ヶ所ほど行ったある土曜日の朝
「どこに連れていく気?」
と、今までのこと全てを忘れた様に言うので
「毎週、お遍路さんに行ってたよね」
と言っても「行かない」「知らない」の一点張りで・・
仕方なく、私は車を戻し、その日は家で過ごすことにしました。
疲れが溜まっていたのか、カバンをおくとそのまま床で寝ていました。

しばらくすると、父が泣きながら慌てて私の部屋にやってきて
「車、出してくれ」というのです。
え?え?と思いつつ、ただ事ではないというのだけ理解できました。
泣き顔の父の後ろで、見たこともない様な虚無な母が、ぼーっと立ち尽くしていました。
母はとうとう、父のこともわからなくなってしまったのでした。
救急車は呼べない・・
外傷でもないので、救急車は呼べないと判断し、私は主治医に電話をしながら用意をしました。
しかし、あいにく主治医は不在・・・
私は、以前聞いたことのある別の病院に電話し、予約を取り、急いで連れていきました。
母と父は診察室に、その間に私は姉に電話で連絡・・
母の診断名は「わずかな脳出血」「認知症」でした。
やっと医師から「認知症」と診断されたことで、何かホッとしたことを強く覚えています。
病名がついた日
認知症の中の何に属するか?(アルツハイマー・血管性・レビー小体型など)は、これから検査をするからと、別の大きな病院に紹介状を書いてもらえることになったのですが
母が「入院は嫌」と言いだしたのです。
母の言動を見ていると『どこまで正気で、どこまでが本当にわからないのか?』
ということに疑問を持ってしまう私でした。
そういう私たちの姿を見た先生は、紹介先の病院に電話してくださったようで
「おうちで看るのは大変でしょう?今からその病院に行きますか?先方はOKらしいです」
と言ってくださり、父は
「お願いします」と即答していました。
父は母より年上なので、介護が本当に大変だったんだと思います。
病院に行けてよかった
そのまま、ぐずる母をなだめて入院させたのですが・・・
父と2人、家に帰って
ぐちゃぐちゃになった部屋をみて
「今までは、母に集中しすぎていて気づかなかったけどすごいね」
と笑い合いました。
家の介護は大変
生活に介護が浸透していくので、大変さに気づきにくいですが
家での介護は大変です。
「勝手に、外に出ていかないか」
「ガスをつけっぱなしにしないか」
「水道は止めたか」
「変なものを食べてないか」
など、気をつかってばかりです。
母の場合、検査入院でしたが、数日母がいないと思うと、寂しさよりホッとした感が強かったです。
だから、私は「介護は専門職の人にちょっとだけでも頼った方がいい」と実感しています。
最後に
親の介護は本当に大変です。
親の「しっかりしていたイメージ」とはかけ離れていく、老いていく姿を見るのは辛かったです。
でも・・
一番辛いのは、亡くなってからです。
もう2度と話すことができません。
一緒に笑うことも
一緒に歩くこともできません。
私は正直、まだ悲しさを消化できていません。
大変だったけれど、生きていてほしかったと思っています。
「母とは、2度とできない」
ということが多すぎて、辛すぎて嫌になってしまいます。
よく『親が生きているうちに、出来ることはしてあげて下さい』と言われますが
それに自己犠牲は必要ないです。
頼れるところは頼って
なるべく家族に負担がない暮らしをして下さい。
そして親に対して『いつも笑顔で接してあげる』方が親孝行だと思っています。
このサイトでは、私自身が「わからなくて困った」ことなど介護の情報を、朝と夜の2回更新しています。よかったら、また見にきて下さい。
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写経とは・・
写経とは、仏教の発祥の地インドで、お釈迦さまの教えを広めるため始まったと言われています。
日本では、奈良時代から僧侶の修行の一環として盛んに写経が行われていたそうです。
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